2011年6月27日 (月)

ありがとう

6月に入って貧血や発熱や意識がなくなり

次第に体力が落ちていった。

ほとんど眠っていて、反応が少なくなり

もうお別れの時が近づいているのだろうかと

いつも、帰る時には覚悟していた。

mist

6月27日午前2時 永眠 満88歳

カーサの自分の部屋で静かに眠ったまま逝った。

mist

Photo_3

父の最後の日々を支えてくれたカーサのスタッフさん

入居の方々とのお別れ会を

父の部屋で行った。

club

一人一人入って父の枕辺にお花を手向けていただいた。

「湖浜」でお世話になったヘルパーさんも来てくださった。

毎日介護・看護してくださって

そのつながりが深かったためか

父との別れを悲しんで去りがたい思いの方もいた。

heart01

「お~」とか{あ~」しか言えなくなった父を

笑わせたり、励ましたり、寄り添ってもらった。

自宅にいたら経験できなかった

大勢のスタッフさんとの交流。

晩年の父の宝だったと思う。

heart01

いつも一生懸命のスタッフさんに

わたしもいっぱい助けられた。

両親のことでイライラしたり、落ち込んだり、

その度にやわらかく受け止めてもらった。

スタッフさんとのおしゃべりが

わたしを元気にしてくれて、

ここまで頑張ってこられたと思う。

club

入居者の方々からは

「往く道だからご両親をみてあげてね」

「怒らないであげてね」とも言われた。

「貴女のしていることは貴女に返ってくる」と。

そんな先輩とのおしゃべりは

肩の力が抜けてホッとする時間だった。

club

夫は「後悔しないように充分看て上げて」

と言うのが口癖で、

介護のために長い不在になっても

嫌な顔ひとつせずに励ましてくれた。

離れている子供たちもブログを読んで

祖父母のことを気にかけてくれたし

わたしを気遣ってもくれた。

club

多くの人に感謝しています。ありがとうございました。

そして父にも。

お父さん、一生懸命頑張って生きて、本当にお疲れ様。

長い間ご苦労様でした。

こちらの事は心配しないで、ゆっくり休んでください。

そして今まで本当にありがとうございました。

club

2010年2月に父が入院してから、父のことを写真に撮ったり

ブログに書いたりすることがしんどくなり休止していたが

父の最期の1年4ヶ月を、記憶を辿りながら書いた。

ココログ出版で本にし、父の墓前に供えて供養にしたい。

| | コメント (0)

2011年5月 1日 (日)

仲良く手をつないで

4月10日、娘の結婚式を控えた数日前から

父は危篤になり

2~3日が山ではないかと言われて

わたしはカーサに泊まりこんだ。

clover

父の耳元で、

結婚式が無事に終わるように、

お父さんも頑張ってねsign03

と何回も言う。

clover

その呼びかけに答えるかのように

父は危機を脱して山を越えた。

201151

弟の嫁さんも毎日父に会いに行ってくれた。

不安の多い最期の日々を父に寄り添ってくれて

父は心強かったと思う。

「おじいちゃん!」との呼びかけに

うんうん、と頷くのが日課になって

快復して車椅子にも乗れるようになった。

notes

娘の結婚を初めとして

家族の絆をしっかり結び合わせてくれた父。

母とはしっかり手をつないで記念撮影をしたheart01

| | コメント (0)

2011年4月 1日 (金)

よ・ろ・し・く・・・・

寝たきりの父と向かい合っても

何を話したらいいのか。。。。。

結局わたしの一人語りは長く続かず

寄り添う時間も短くなってしまった。

downupdown

毎日ケアしてくれる

看護士さんやヘルパーさんが

父の支えにもなっている。

Photo_2

熱が出たり、具合の悪い日が続き

父の体力が次第に弱まっていく頃、

「何か話しておくことはありますか?」

という看護士さんの言葉に

heart01

「T子(母)とA子(わたし)を、よ・ろ・し・く・た・の・む」

と言ったとのことだった。

父の最期の願いを聞き取ってくださった看護士さん。

信頼関係を築いてくださったことに感激した。

shine

父が大事に育てていたバラが見事に咲いた。

目の前に差し出して見せると

久し振りに大きな声で

「お~~~~!」と喜んだ。

club

バラは大事に手入れしていくし

孫のことは見守っていくし

お母さんのことは心配しないでねheart01

とは伝えたが、

自分のことは言わず仕舞いだったかもしれない。

| | コメント (0)

2010年12月25日 (土)

うれしい知らせ

師走がきてもうすぐ一年が終わる。

父は今年初めに肺炎を起こしてから

口からは食べられなくなり

寝たきりになった。

watch eyeglass

規則正しい生活のための腕時計も

新聞を読むためのメガネも

もう要らないと外した。

自分の置かれた状況を甘受したのだろうか。

eye

じっと天井の一点を見ている時間が増えた。

何を考えているのだろう。

notes

そんな時、孫(わたしの娘)が

結婚の報告にやってきたsign03

Photo

うれしい知らせに父も喜んで

うん・うん・と頷いていた。

heart01

花嫁姿を見せるから元気でいてねsign01

と言われて、

父には頑張る目標ができたみたいだ。

年が明けると父は87歳。

| | コメント (0)

2010年10月30日 (土)

リンゴ事件

8月半ばに意識がなくなり入院。

10日ほどで退院したが

その後も熱が出たり

痙攣発作を起こしたり

downupdownup

耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に感染したらしい。

父の部屋の出入りに手洗い・マスクなど

衛生管理の徹底がされ、

車椅子での移動も見合わせることになった。

tv

部屋の中だけの生活が続くことになるが、

テレビのスポーツ観戦や国会中継

水戸黄門は熱心に観ていた。

apple

秋になってリンゴ狩りの行事があり

小さな姫リンゴを持たされた父は

サッと口に運び

もぐもぐ食べてしまって

気づいた時には芯しか残っていなかったsign03

久し振りに食べたリンゴの味に

満足しただろうかnote

誤嚥から肺炎を起こしてはとsweat01

看護士さんは青くなって吸引したが

しっかり飲み込めたようで

カケラひとつ残っていなかったそうだ。

| | コメント (0)

2010年8月 3日 (火)

父の生活

少しづつ新しいカーサに慣れ

チューブからの食事も順調になり

口から少しでも味わってもらいたいと

蜂蜜を薄めて飲むことも始まった。

背もたれが大きい車椅子を購入し

一日二回は車椅子に乗って

ホールへ出てテレビを観たり

いろんな日課を見たりした。

Imgp0001_3

heart01heart02heart04heart

母は隣の父の部屋に来て

再会を待ちわびたように「お父さん!」と顔をのぞく。

すると父は嬉しそうに頷いて

満面の笑みを浮かべる。

それが毎回のことなので

本当に仲の良い夫婦だと有名になってしまった。

この日は義母が訪問してくれた。

| | コメント (0)

2010年7月28日 (水)

火事

実家の裏の家から火が出て

隣2件が全焼してしまった。

連絡を受けて、あずさに飛び乗って帰る。

闇の中に立つ黒焦げの残骸

焼け焦げた臭いが一面に漂い

見慣れた景色が一変してしまった

風向きが逆であったら

実家は全焼していただろう

暗闇の中に灯った明かりの下で

姪がぽつんと一人座っていた

火事の恐怖に耐えた緊張に

全身を震わせているような

肩を落とした後姿

火事場の奮闘で力を出し尽くしたことも

虚脱感が大きい理由だ

Photo_4

明るくなって二階から現場を見る

隣の家の屋根・外壁は残ってはいるが

中は丸焼け

その向こうの3階立ての家は全焼

実家のサンルームのガラスはなくなり

一部溶けてしまった

幸い被害者は出なかったが

家財道具ひとつ運び出せない猛火で

隣人たちは全てを失ってしまった

|

2010年7月 2日 (金)

新しいカーサへ

介護と看護付きのカーサに移った。

今までは大きな部屋にふたりで暮らしたが、

今度は隣同士の個室になった。

Photo_2

諏訪湖が目の前に広がり

遠く八ヶ岳や富士山が見える部屋。

fuji

父はナースステーションの前の部屋。

3人の看護士さん、

多くのヘルパーさんが次々に声をかけてくれる。

完全介護になって、

わたしのしていた父の身体のケアはなくなった。

楽になったが、手持ち無沙汰のような

淋しいような気持ち。

flair

そうそう、父の頭をシェーバーで刈ること!

耳掃除と爪切りはすることにした。

spa

ここは施設なので

母と一緒にお風呂に入ることはできない。

それも淋しいことだった。

sports

洗濯も依頼するので

下着や服やパジャマ・・・

あらゆるものに名前を書いた。

まるで子どもが保育園に入園する時のように。

大きく書いた父と母の名前。

新しい生活の始まり。

| | コメント (0)

2010年6月22日 (火)

カーサに戻って

胃ろう手術をして40日程で退院し、

4ヶ月ぶりに懐かしいカーサに戻った。

Photo

一日3回栄養剤と水を入れ、

痰の吸引機が設置され

定期的に痰を取る処置がされた。

danger

痰の吸引をわたしもやってみた。

入れ歯のない父は、チューブを歯でガッチリ噛み

喉に入らないようにする。

歯の間のすき間を探して

チューブを差し込むと

苦しいし、異物を除こうとして

喉のあたりがキュット締まってくる。

(@Д@;

なかなか上手くいかない。

mist

泊り込んだ夜は、

朝方まで、何回も吸引した。

特に朝方になると痰が多くなり苦しそうだった。

mist

カーサは夜の介護ができない。

父は胃ろうになって急変も予想され

母の認知も進んだので

高専賃での生活が難しくなった。

clubclubclub

折りよく、カーサが新しく建設した

24時間介護付きの有料老人ホーム

~「混合型特定施設入居者生活介護」~

「カーサ・デ・ソル諏訪湖」に移ることにした。

|

2010年5月12日 (水)

胃ろう

カーサに入居するときに

「リビング・ウィル」という書類に署名していた父。

pen

「尊厳死の権利を主張して、延命治療はしない」

という意思表示をしていた。

しかし、主治医からは「胃ろう」ありきで話が進み

「胃ろう」しない場合は

病院にいる必要がないので即出てくれ!と

強い口調で言われた。

bombannoybombannoy

高専賃のカーサでは、

「胃ろう」は受け入れOKだが

中心静脈栄養の処置は出来ず、

まして、口から食べられない父には

「胃ろう」をするしか道がなかった。

saddown

父は「胃ろう」にすることを黙って聞いていた。

弟やわたしの決めた事だから、

「そうするしか仕方ない」と受け入れたのだろうか。

Photo_3

今年は御柱祭の年。

ベットで横になっている父に

木落としや里引きの話をする。

父の頭の中には

元気だった頃の御柱祭の様子が

蘇っていたに違いない。

| | コメント (0)

2010年3月26日 (金)

転院

肺炎は治ったものの、

飲み込む力がなく、トロミのゼリーも難しい。

しかし日赤hospitalは退院を強要。

すったもんだの末、

「飲み込みのための訓練をするために」

リハビリ病棟のあるK病院に移ることになった。

thunderthunderthunderthunderthunder

転院後、熱が出る。

impact

口から栄養が取れず、

血管が細くて固く、静脈点滴が出来ないので

中心静脈から高濃度の栄養を取ることになる。

upよくなったり

down悪くなったりを繰り返しながら

リハビリ病棟には移されずに点滴が続けられた。

heart01

母を連れて父の見舞いに行く。

「おとうさん!」と言って顔を覗き込んで

ニコニコ笑って

またベッド横でウトウトする。

heart04

もう母が父の世話をすることはない。

「おとうさん!」と呼びかけるだけで

他の言葉は霧の彼方にかすんでしまった。

heartheartheartheartheart

でも思いだけは一杯ある。

| | コメント (0)

2010年2月27日 (土)

父の入院

201019

立ち上がりもだんだん難しくなり、

飲み込みも悪く、むせることが多くなった。

そして。。。。。。。。。。。。。

2010年2月27日

誤飲性肺炎を起こして、入院。

わたしが帰郷できなかったため、

姪が入院の手続き、付き添いをしてくれた。

「おじいちゃんが死にそうで、泣いてばかり」だったそうだ。

程なく危機を脱した父は、

smile枕元の姪(孫)に一生懸命話しかけてsmile

(何を言っているのかは不明にしても・・・)

感謝の言葉や、心配しなくていいことなど

伝えたのだと思う。

飲み込みが悪いので点滴だけだったが

顔色もよくなり、回復してきた。

weepsad

母は部屋でひとりの生活になり

「お父さんはどこ?」と不安だったようだ。

ヘルパーステーションへの訪問が頻繁になった。

父の見舞いには喜んで行くが

heart01

顔を見たとたんに安心するのか

父のバッドの横に座って、ウトウトしていた。

|

2010年1月31日 (日)

冬の使者

Rimg0123

コハクチョアの飛来地として36シーズン目を迎える諏訪湖。

昨年12月2日に9羽が飛来し

寒さの到来とともに増えて、今は170羽くらい。

亡くなった義父が毎年白鳥に会うのを楽しみにしていて

1974年の初飛来して以来後、ずっと写真を撮っていた。

この日も家族連れや、カメラを抱えた人でいっぱいの湖畔。

諏訪の人々に愛されている白鳥だ。

「諏訪湖白鳥の会」の会員が毎朝えさやりをするので、

コハクチョウやカモが群がっている。

Rimg0124

今年は中旬の17日にマイナス10度になり、諏訪湖が凍結したが、

それ以降は暖かい日が続き氷が溶けた。

「おみわたり」は見られそうにない。

コハクチョウの北帰行は2月中旬から始まり、

3月上旬にはみんな帰っていく。

自宅リフォームをすることになり、ブログをしばらく休みます。

コハクチョウの北帰行が終わる頃には再開できると思います。

それまでしばしのお別れです。

|

2010年1月26日 (火)

かゆいかゆい

「こんにちわ~」と言って両親の部屋に入って行くと、

父は前かがみになってテレビを見ていて、

母は父の後ろに座って、笑顔で迎えてくれた。

happy01

挨拶の後は連絡帳に目を通して

どんなことがあったのかチェックする。

父は足指の傷もよくなり、

落ち着いた状態が続いているらしい。

club

母はここ2日ほど続いてパットを抜き取ったので

尿もれのため、下着もズボンもシーツも総取替えになっていた。

洪水状態だったらしくsweat01sweat01sweat01sweat01sweat01

深夜の出来事ではないか?ということだった。

mist

どうしたんだろう?

何故目を覚ましたんだろう?

不思議を抱えながら、

一日を終えた。

mist

深夜。。。。。

ぽとぽと。。。ぽとぽと。。。

母が台所で水を飲んでいた。

sweat02sweat02sweat02

入り口のドアは全開になり、

(わたしが泊まったので鍵はかけなかった)

枕元には新しいパットが置いてあった。。。。。

混乱しているようだtyphoon

toilet

すぐにトイレに連れて行ったが、

パットは汚れているわけでもなく???

bearing

便座に座ったまま母はお腹をボリボリ、ボリボリ

かゆいかゆい

あ~~かゆい

もーーーいやんなっちゃうぅぅぅーーーー

bearing bearing bearing 

下着の下から出てきたのは

真っ赤になったお腹!

就寝時にはリハパンにはきかえ、

夜用のロングパットをつけるので

そのためにかぶれたのかもしれない。

薬を塗ったが、なかなか寝付かれないようで何度か起きた。

eye

昼間は木綿の下着に替えて、

薄手のパットにする。

お腹はザラザラしたところが何箇所かあるが、

赤みはなく、痒みも出ない。

でも、ひどい痒みのことを覚えていて

「夕べはえらい目にあったよ~」と何度も言った。

いつもは何も言わずに帰るのだが、

「来週また来るから、今日は帰るよ」と言うと、

「え~?帰るの?」

とびっくりして、泣きそうな顔weepになった。

帰りの列車の時刻を気にしながら

両親の夕飯を終え、トイレと口腔ケアを済ませ

着替えの前に薬を塗って

「おやすみ」とベッドに寝かせて、

そろそろと部屋を出ようとすると、

cancer

かゆいかゆいかゆい

ベッドから起きてきた。

「いい薬をつけるからすぐ治まるよ」と、抗生剤を塗って、

あわてて部屋を出て、

ヘルパーさんに後を頼んで、駅に向かった。

train

わたしが急いでいたのを知って

帰ることに気づいたのかもしれない。

後ろ向きに丸くなって寝た母の背中を

思い出さないように、

走って飛び乗った「あずさ」の窓から

誰もいない真っ暗な実家が見えた。

次の日には皮膚科の先生に往診してもらって痒みがおさまったそうだ。

| | コメント (2)

2010年1月15日 (金)

赤富士

Rimg0093

朝、6時。

母と一緒にお風呂に行く。

パジャマを脱がせて、母の手を引いて

湯気でいっぱいの風呂場に入る。

お尻を洗って、足を洗って、体を洗って、髪を洗って、

それから広い浴槽に入る。

母の生まれた家には、温泉があった。

脱衣場付きの温泉で

岩風呂のようなつくりだった。

一年中流れっぱなしのお湯があふれていた。

母がわたしを産んでそのお湯を産湯代わりにした昔。

もう母の家はないけれど、

この温泉に入る度に、

母の実家の温泉のことを一緒に思い出している。

ゆっくり温まって部屋に帰ったら

薄氷の張った諏訪湖の向こうに赤富士と

明け始めた高い空に三日月が見えた。

ピリピリと寒さが張り詰める諏訪の朝だ。

| | コメント (2)

2010年1月13日 (水)

部屋を出て行くようになって。

就寝中の父は痰が飲み込めずに

ゴロゴロと喉を鳴らすので、

スポンジスティックを入れて、口の中の痰をとりだす。

こんなに一杯の痰を詰め込んでいたのか!

と驚くほどたくさん出てくる。

夜中に2回くらいやって、ウトウトした頃、

????shadowshadowshadowshadow

枕元を何かが通る気配がした???

白っぽいものを着ているようだ。。。。。

何?

だれ?

ゾーーーーッ

Photo

なんと、

母が出口に向かって歩いているのだ!

「お母さん!どこに行くの!」

「いいから、行くんだから!」

母は必死な面持ちで、

わたしの手を振り払いどうしても出ていこうとした。

トイレに行きたいのかもしれないと思って、

手を引いてトイレに誘導した。

。。。。。。。。。。 

やっぱり、便が出ていて気持ちが悪かったのだ。

お尻をきれいにして、ズボンをはかせると

「ありがとうね」と言って、またベッドでグーグー眠った。

こんなことは初めてだが、

わたしの居ない夜に出て行ったら、母は部屋に戻れないだろう。

それに、当直の人が1階にいるだけで、

昼間とは全く様子の違った廊下に出た母は混乱すると思う。

この頃は昼間、眠りから覚めると、部屋を出て行くようになった。

昼寝から覚めると、必ずトコトコ歩いて

トイレに行くか、

廊下に出てスタッフルームへ行く。

パットが汚れていることもあるし、そうでないこともある。

排尿排便したい時もあれば、そうでないこともある。

家に帰りたいのか、生まれた実家に帰りたいのか、

と聞いたが関心がないような返事だった。

誰も来ない時はすごくさみしいよ~

と言っていたので、人恋しくて出ていくのかもしれない。

スタッフが声をかけてくれて、相手をしてくれるのが、うれしいのだと思う。

母にとって父(夫)は一番大切な存在で、

真綿で包むように大事に世話をしてきた。

病気ばかりしている父のことが心配で、

父に全てを捧げた後半生だった。

でも、その役目を手放して自由になったかのように、

父をひとり部屋に置いて、母は出て行く。

誰にも縛られず、誰に遠慮もせず、

初めて自分の意思で出かける母。

楽しみに心弾ませて遊びに行く母。

迷子にならないように、

ちゃんと部屋に戻れるように、

昼間はドアを開けたままにしてある。

でも、夜はドアに鍵をかける。

母が出て行かないように。

だから、夜は目を覚まさないでずっと朝まで寝ていてほしい。

でも。。。鍵かけたりしてごめんね。

| | コメント (0)

2010年1月 4日 (月)

おめでとうの電話

私 もしもし、お母さん?おめでとうございます

母 うふふ・・・だぁれ~?

私 ○○子だよ。

母 えっー○○子????ケラケラ(笑い)

私 ○○子が電話しているんだよ。

母 本当?・・・変な声の人だね?ケラケラケラ・・・

わたしは暮れ~正月は我が家で過ごしたので、

両親のところには弟に行ってもらった。

弟の携帯で話すのだが、

よく聞こえないのか、話が通じない。

でも、電話からは母の笑い声が聞こえて

母がうれしそうにしているのが伝わってきた。

父は少し熱があって横になっていたのだが、元気そうだという。

電話口からは、モゾモゾしている父の息遣いが聞こえた。

姪たち(孫娘)も、新年の挨拶に行ってくれて、

夕食の介助のお手伝いをしてくれた。

両親はもちろんのこと、

一緒のテーブルのNさんや、Iさんも、

賑やかになって喜んでもらえたと思う。

新しい年、父は86歳、母は87歳になる。

穏やかで、静かな生活がおくれますように!

| | コメント (0)

2009年12月31日 (木)

こころに響く歌声

年末のテレビに春日八郎と三橋美智也の懐かしい顔があった。

若かりし頃の二人の姿と、懐かしい歌の数々。

両親は並んで観ていたが、

どちらともなく一緒に涙を流していた。

Photo

どんなことを思い出すのか?と母に聞いてみたが・・・

具体的なことではないらしい。

日ごろ感情を表さない父が涙を流すのだから

歌の力はすごいと思った。

NHKの深夜便で五木寛之が、

人が本当につらい時や悲しい時に、

何によって慰められるか、と言う話をしていた。

戦中戦後、ご自身も引き上げの苦労をされただけに、

悲しみのどん底にいるときには、

歌謡曲の歌詞の「悲しい」「つらい」という歌詞やメロディーを歌って

心の中のものを吐き出していたということだった。

大正末期に生まれ、昭和を生きてきた両親。

戦後の復興期が

二人にとっても一番大変な時代だったのではないか。

その時代の背景にも歌があって、

そのときに流れていた歌謡曲をきっと口ずさんだろう。

歌を聞いたり歌ったりして、

憂き世の憂さをひととき忘れたのか。

そんな昔の我が姿が脳裏に浮かんだのかもしれない。

「音楽は魂の食べ物」五木寛之。。。。。。

いろんなことがあったけれど、

無事に今年一年過ごすことができて感謝です。

皆様もよい年をお迎えください。

| | コメント (6)

2009年12月26日 (土)

腫れた足の秘密

ひと月ほど前から父の右足が浮腫んで、

足の人差し指が赤く腫れて

先に血豆のようなカサブタができていた。

Photo_2

さわると痛みがあって、どうも様子が変なので、

往診の先生に診てもらうように頼んだ。

皮膚科の先生が往診してくれて、

水虫からの感染症とのことで、

消毒と薬と抗生物質の飲み薬をもらった。

Photo_3

テープを巻いてモコモコになった足。

痛みも腫れも引いて、よくなりつつあるようだ。

父は爪水虫がひどく、

親指の爪はフニャフニャに侵食されたようになっていた。

医者に診てもらって薬もつけていたのだが、

ヨボヨボの父を医者に連れていくのが大変で、

治療に通うのを止めてしまった。

その水虫が増殖して指の先を攻撃し、

感染症を引き起こした。

水虫は秘密にしないで、

根気良く治さないと恐ろしいことになるのだと知った。

恐るべし水虫である。

| | コメント (0)

2009年12月24日 (木)

訪問リハビリその3

むせやすく、

飲み込みが悪くなっている父のことを聞いていた療法士さんが、

腕を広げる運動をした後に、

「大きく口を開けて声を出しましょう!」と言って

あーーーーとやってみせるが、

父は口が開くのだが、声が出ない。

特に父のように失語症で声を出したり、

話をしたりすることがなく、

前かがみで胸を圧迫する姿勢を続けていると

気管が狭くなって飲み込みが悪くなるのだという。

Photo

何度目かにやっと、あー と、ちいさな声が出る。

口の中をのぞくと、喉が大きく開いているのが見えた。

あーーーーと声を伸ばすのが難しければ

あ・あ・あ・あ・あ 

と一音づつでも充分効果があるそうだ。

あー・いー・うー・えー・おーと、

口の周りの筋肉を動かして声を出す訓練を続けた。

しゃべることができない、ということは、

そのための筋肉が使われずに衰えるのだろう。

頬を膨らませたり、凹ませたりも上手くできなくなっていた。

でも、きょうの訓練の効果があったのか、

就寝中の痰のからみが全くなく、ぐっすり眠っていた。

よかったsleepy

| | コメント (2)

2009年12月14日 (月)

電話の向こうに

両親が自宅にいた時は、夕方に安否確認の電話をかけていた。

通院や買い物や、一日のできごと。

具合の悪いところはなかったか、困ったことはなかったか、

ほとんど会話ができない父との毎日のなかで

ほんの数分だったけれど、

わたしからの電話を母は楽しみにしていたようだ。

わたしも母との会話を楽しみ、

料理や家事やしきたりなどを、遅まきながら教えてもらったりした。

結婚して家を出て、

出産・子育て・仕事と自分の生活が忙しく

親のことを気にかけることのないまま時が過ぎた。

父が倒れ、母も倒れ、

ふたりの看病や介護に通うようになって見えてきた親の暮らし。

わたしの前に大きく立ちはだかって

猛威を振るっていた親が小さくなっていた。

完璧な主婦だった母が弱音を吐き、

暮らしのアチコチに綻びが見えた。

父を支えるのに必死だった母が全てを投げ出そうとして

混沌の海に漕ぎ出していくらしかった。

そのときからもう電話は役に立たなくなり、

夕方コールもなくなった。

Photo

なんと!母からの電話!

上記のようなことをケアマネさんに話したら・・・・・

電話をかけてくれて、

母に受話器を渡してくれて、そして父とも話しができた。

といっても・・・・

「もしもし、お父さん?元気?」

「はい、はい」と言うだけの父だったのだが。

「お二人ともとっても喜んでニコニコされていますよ。」とのことだった。

少し前の元気な時の両親を思い出し、

電話の向こうに、

「今」元気で暮らしている両親を感じてなにやらほっとした。

| | コメント (2)

2009年12月 9日 (水)

温泉でぽかぽか

両親の入居している所には温泉があって、浴室も3種類ある。

一般の入居者が入る大浴場。男女の入れ替えで2室。

この夏に出来た介助の人が入る介助浴室。

そして車椅子の人が入る機械浴室。

Image154_640x480

父がこの春から歩けなくなってからは、この機械浴で入れてもらっている。

父の体の動きがいい時は介護者は一人で。

立ち上がりが悪かったり、体が傾いて硬い時は二人で。

お風呂の好きな父は、なかなかお湯から出たがらず

ベッドを動かそうとすると「まだまだ」と言って、

ヘルパーさんをハラハラさせるらしい。

母はヘルパーさんが介助して介助浴室に入っているが、

わたしが帰った時は、朝一番の大浴場に連れて行く。

入居した当時から、顔は何度も洗っていたが、

体は腕や胸をなでる程度で、

そのうちに、体の洗い方がわからないと言って、

入浴自体を嫌がった。

今では「顔を洗ってね」と言っても、

首をかしげるようになって、

わたしが「こんな風に・・・」とやってみせて、マネさせる。

母の手や腕や足や、お尻や、胸や背中を洗ってやり、

髪を洗って、耳の中をきれいに拭いてやり、

浴槽に手をつないで入って、

「温泉のお湯がつるつるで気持ちがいいね~」と言って、

母の背中にお湯をいっぱいかける。

何ヶ月か前には、

「何でできないの!」とか「またこんなことしちゃって!」とか

そんなことを言っても仕方ないのに、言わずにいられなかった。

早朝の誰もいないお風呂場で、

poutいっぱい母を叱ったimpact

乱暴に洗って、手荒く服を着せた。

「もう嫌になっちゃう!」とその頃はいつも思っていた。

そんな酷いことをしたわたしの事は忘れたのか、

ニコニコしながらhappy01湯船につかっている母の背中に

何度も、何度も手でお湯をすくってかける。

母の体が桃色になって、ぽかぽかの湯気が出る。

「~気持ちいいね~」

・・・・お母さん!怒ったりしてごめんね・・・・

| | コメント (4)

2009年12月 4日 (金)

トコトコ歩いて

食事の時間になり、

母には、「履物はいて廊下で待っていてね」と言って

父を車椅子に乗せて出てみると・・・・

Photo

壁つたいに、トコトコ歩いていく母。

「お母さん、食堂はこっちだよ」と言って、手を引いて来る。

矢印の方向には「スタッフルーム」があって、

最近はよく顔を出すそうだ。

いつもヘルパーさん達がいて、

「どうぞ~」と歓迎?してもらえて、

お菓子(母用に預けてある)を少しもらえるので、

日に4~5回は行くそうだ。

人恋しくて行くのかな?

お菓子が欲しくて行くのかな?

小さな子がトコトコとご近所のお年寄りの家に行くような、

そんな無邪気な母の姿だった。

お菓子を食べすぎないように、「水」だけの時もあり、

忙しいスタッフに「また来てね!」と言われると

「はい」と言って、素直にトコトコ帰って行くのだという。

「ヘルパーさん達の迷惑にならないようにね」とか、

「お菓子ばかりねだったら駄目だよ」とか、

「部屋から出る時は、履物をはいて行くのよ」とか、

いろいろ母に言い聞かせた。

すっかりわたしがおっかさんになっていた。

| | コメント (2)

2009年11月30日 (月)

どうやって??

三度の骨折をして、長い眠りから覚めたような母。

やっとつたい歩きができるようになった。

この頃では、3度の食事には父の車椅子を押して、

ヘルパーさんと一緒に5階の食堂へ行く。

それはとてもうれしい話だ。

しかし

二人だけで廊下に出ていたことがあったそうで・・・・

母が車椅子の操作を覚えたのか?

それとも父が指示したのか?

椅子に座っている父が、どうやって立ち上がって、

どうやって車椅子に移乗したのか?

不思議なことがあるものだ。

Photo_2

父がまた食事の時間を間違えたのだな。

母は父の言うままに「あっち」方向へ押して、

たまたまだったにしても、

危険きわまりない!

ということで、

部屋の入り口にたたんであった車椅子は、

二人の目にふれない倉庫に仕舞われることになった。

| | コメント (2)

2009年11月27日 (金)

訪問リハビリその2

pout父は月に2回、金曜日に訪問リハビリを受けている。

わたしの帰郷と重なるのでその様子が見られる。

10月23日の「訪問リハビリ」にも書いたように、

足から始まって、手~腕、上半身。そして、最後は歩行訓練。

今回は腕を上げたり下ろしたり、

ひろげたり閉じたりを熱心にしていた。

Photo

背中を丸めて前かがみになっていると、

呼吸が浅くなるのだという。

腕をひろげることによって、肋骨が開き、深い呼吸ができ、

むせないで、飲み込みもよくなるそうで、

いいことづくめである。

父にはこの運動を毎日やってもらいたいものだが、

療法士役がヘルパーさんだと、無視するのだそうで、困ったものだ。

それだけ、純正?療法士さんを信頼してるということだろうか。

では、娘のわたしがやればいいではないか、

というところなのだが、

洗濯・掃除・買い物・トイレ介助・食事介助などなどに追われ、

父に向き合っても、気持ちがソワソワして、

手を添えての「ゆっくりの運動」がお座なりになってしまう。

そして、終いには「もっとこうやって!!」と、

キツイ声を出しながらangry

動きの悪い手を無理やり引っ張って・・・・・・・

どうしようもないわたしsweat01

| | コメント (0)

2009年11月24日 (火)

母の認定調査

11月20日

7月に「いろんな質問」をして区分変更の手続きをして

8月から「要介護4」になった。

変更後の初回の有効期限が半年なので再度の認定調査があり、

わたしの帰郷に合わせて役場の調査員に来てもらうことになった。

事前の手続き(申請書の記入や提出・役場との連絡)は

ケアマネさんが済ませてくれて

わたしは利用者欄へのサインだけだった。

入居前は、すべてわたしがやっていて、慣れるまで大変だった。

覚えても半年とか一年とか経つと忘れてしまって。。。。

父と母の認定調査の日にちがバラバラで、

そのための帰郷を工面した日々。。。

今回は、母への聞き取りに入る前に、

介護するヘルパーさんからの日常の様子を聞いてくれたので、

母の前でアレコレと詳細な話をしないで済んでほっとした。

挨拶のあと、早速聞き取りに。

調査員: お名前を教えてください。

母:    ○○ (苗字だけを言う)

調査員: 下のお名前を教えていただけますか?

母:   ???なんだっけ???

調査員: T子さんですか?

母:   そう。

遂に自分の名前が出てこなくなった!

季節も時間も場所も答えられないのは以前と同じ。

79項目の基本調査のうち、直接母に聞いたのは数項目だった。

丁寧な言葉つかいをする母だったのに、すっかりタメ口になった。

調査員に以前は警戒心を抱いて緊張していたが、

今回はそれほどでもない。

ベットからの起き上がりの様子を見たいと母をベットに連れて行くと、

横になったと思ったら、すぐに目を閉じて眠りにはいってしまった。

Photo

この基本調査に主治医の意見書を加えて

介護認定基準時間(介護にかかる時間)の算出をコンピューターで推計し

これが(一次判定)

その後、介護認定審査会による審査(二次判定)を経て、判定される。

一ヶ月から一ヵ月半くらいで認定がおりる。

前回、骨折で寝たきり・車椅子の状態からは快復して、

つかまり歩きが出来るようになっているが、認知はかなり進んでいる。

点数的には変わりがないので、

要介護4の認定だと思うとケアマネさんは言う。

「静かに落ち着いた生活が送れているので、それを維持していきたい」

と、ケアマネさんからの話だった。

| | コメント (2)

2009年11月19日 (木)

ちょこさんぽ

カーサの前の公園まで

母の手を引いて、ちょこっと散歩。

Image093_2

イチョウの葉っぱが日差しを受けて輝いている。

小さな子ども達が歓声を上げて飛び回っている。

母の視線はイチョウよりも子ども達に向けられて

口元は自然にほころんだ。

幼かった我が子の姿が見えるのかもしれない。

疲れてしまった母は

すっかり体が前のめりになって

わたしが握った手に力を入れて

一歩づつ歩いた。

もうしっかり歩けなくなったから

手を離さないでね。

しっかり握っていてね。

そういう母の声が聞こえたような気がした。

マネしたわけじゃないけど、

まるで樋口了一の「手紙」の世界

何となく抵抗感のあったこの歌

気がついたら、同じような成り行きになっている。

| | コメント (2)

2009年11月15日 (日)

母の夢

「アラッ、来たの!」

なんて喜んだ母も、

小一時間もすると、眠くなってしまい、

「ちょっと寝てくるね」と言ってベットへ直行する。

そして、すぐに夢の中へ。。。。。

Photo_3

緊急用のボタンは母には記憶されないので、押したことがない。

夏の暑い間、タオルケットをかぶってアセモだらけになったので、

「何も掛けないでそのまま寝て」と教えて。。。。。

そのまま夏が過ぎ、秋が来て、

寒い季節になったのだけれど

「布団を掛けること」がすっぽり抜け落ちてしまって、

今でも、ゴロンと横になったまま。

今日はわたしが掛けてやって、

「布団をこうして掛けるんだよ」と言うと、

「・・・・・でも忘れちゃうから・・・」と。

部屋が暖かいからいいけど。

「お母さんのしたいことは何?」

「。。。。。そうだね、家へ帰ること。」

「帰っても寒いし、二階に上がったり下りたり大変。

だから、夢の中で家に帰ってきたらいいよ。

掃除も買い物も食事の用意も

一杯やって来てね。」

そういうと、

母はとても嬉しそうな顔をしてうなずいた。

今頃は夢の中で、

いっぱい働いているのかな?

| | コメント (0)

2009年11月10日 (火)

アラッ!来たの?

朝一番の「スーパーあずさ」に乗って

両親のいる「カーサ」に着くのが10時くらい。

キャリーカーを引張り、

買い物袋をさげてエレベーターを降りると、

ヘルパーのSさんに会う。

「今朝、今日は娘さんが来ますよって言っちゃったから、

何度も廊下を行ったり来たりして待っていて、

悪いことしちゃった」とのこと。

そうか、

どれどれ、と部屋に入ると

Photo_3

ニコニコして、満面の笑みで迎えてくれた。

昔着ていた派手目なセーターを着て椅子に座っていた。

「そのセーター、よく似合うね」と言うと

嬉しそうに笑った。

Sさんの話によると

朝6時半に介助に入ったときに

風呂場に便があったという。

母のベッドからトイレ風呂場までの床が汚れていたので

多分、

起床時に便がしたくなって、

風呂場で用をたしたのではないか?

とのことだった。

母を着替えさせ、

床や風呂場を掃除するSさんは、

落ち込む母を元気つけるために

「今日は娘さんが来るのよ!」と言ってくれたのだと思う。

その心遣いが、あり難くうれしい。

尿や便の感覚がある時は

トイレを探してウロウロし、

挙句はトイレでない場所で用をたし、

感覚のない時は

パットの中にしてしまっても分からず、

その汚れたパットを見て

「こんなこともわからなくなって嫌になっちゃう・・・あ~あ」と言う。

いずれにしても、

「わからないこと」が、母にとっては不安なのだろう。

「人に聞く」という手段も忘れてしまった母。

「ひとり」の世界の中で

どれほどの不安や恐怖と戦っているのだろう。

心優しいスタッフに見守られて

母の不安も恐怖も

最小限に取り除いてもらっていると思う。

そして時々わたしが帰って

娘になったり、

おっかさんになったりして

母と過ごす。

| | コメント (0)

2009年11月 9日 (月)

三度の食事

朝食は7時半から

昼食は12時から

夕食は6時から

と食事時間が決められている。

時間に厳格だった父に唯一残された食事開始の時間。

この頃は時間を読み間違って

1時間早い時刻なのに

「おい!」とか

「オーオー」と言って、行こうとする。

昔から、三度の食事を楽しみにしていた父。

右手に力が入らなくなって

箸は使えなくなったが、

この頃はなりふりかまわず、

右手でスプーンを使って、ご飯。

左手は素手で、おかず。

Photo

食卓の上に覆いかぶさるようにして

必死で黙々と食べる。

右手が上手く使えないので

ボロボロこぼすし

嚥下が悪い時は、ゴボゴボむせるし

鼻水はたらすし・・・・

Photo_2

わたしはその鼻水を拭きながら

急いで、おかずを父の口に運ぶ。

すると、父は条件反射のように口を開ける。

雀の子が大きな口を開けて餌を待つような

そんな光景が重なってしまう。

「口の中のものを飲み込んでからにしないとむせるよ」

と、注意しても、

すぐにまた口を開けて、

目の前の食べ物がなくなるまで

口一杯に詰め込む。

そして、

コンコン、ゴボゴボ

ハーーーックショ~~~ン (うーん、やだなぁpout

我が子が小さかった頃

手づかみして、いっぱいこぼしても

よしよし!いいよ~一杯食べてね!って言えたのに

子どもかえりしていく親に

「よしよし」

「いいよ~」

とは、まだ言えない。

でも、そのうちに、きっと

わたしは父や母のオッカサンになるんだろうな cherryblossom

| | コメント (0)

2009年10月31日 (土)

あれ~なんだっけ?トイレの巻き


このところ、母は眠りから覚めるとトイレに直行する回数が増えました。

トイレでの様子がどんな風なのか?

ちゃんと用を足しているのか?

気になって、そ~~~っとのぞいてみました。

Photo

しばらく、じ~~~っと手すりにつかまって立っていました。

いつもは、ヘルパーさんの介助が入るので

自分ですることがないのです。

だから

ズボンを下ろして、下着を下ろして、

という手順を忘れてしまったみたい。

どうしたらいいかを思い出せなくて。。。。。

下着にパットを当てているので、

そのパットだけを手に持って、トイレから出てきました。

時として、

思い出すことがあるらしく、

その時には、

パットを当てることを忘れてしまうので、

洪水になってしまうのです。sweat02sweat02

今日は、わたしが誘導して、

もう一度トイレに行きました。

Dscf0267

買い置きのリハパンやパット。

いつも、山のように抱えて買ってきます。

こういうものも、全部家族が用意しておかなくちゃならない。

それと、清拭用の古布。

ふたり分だから半端な量じゃないのだ。

あらかた、家中の古着がなくなってしまい、

この頃では友人達が協力して

古着をくれるので、助かってますgood

| | コメント (2)

2009年10月28日 (水)

訪問リハビリ

10月23日

今日はリハビリの日。

歩けなくなって、

介護4になって、

訪問リハビリを申請しました。

月2回。

主治医の先生のところの療法士さんが来てくれます。

Photo

座ったままで、

足を伸ばしたり、

太ももを上げたり、

足首をまわしたり、

足の指を閉じたり、開いたり。

Photo_2

脳の中に、足の指を動かす回路がないと、

足の指は動かない。

意識して動かそうとするだけでも、

脳の血流は増える。

体を動かすことは、脳にとっても良いこと。

グー

パー

の掛け声に合わせて、一生懸命に動かそうとしました。

リハビリ運動の仕上げは歩行訓練です。

Photo_4

後ろから抱えなくても、

なんとか歩くことができました。

これで、おしまい。ふうっ~

| | コメント (0)

2009年10月16日 (金)

おいっちに、おいっちに、

10月11日

1日、2日と具合が悪く、往診して抗生剤の注射をしてもらった父。

その後もすっきりせず、寝たり起きたり。

オムツをしていた日もあったし、

飲み込みも悪く、むせることも多かったらしい。

10日には訪問リハビリがあって、体は硬くなっていたが、

それなりに頑張って、メニューに取り組んでいた。

メニューといっても、ほんのわずかな動きで、30分ほど。

この日は居眠りしながらの運動だった。

二人がかりで抱えられて、歩行練習。

Photo

おいっちに、おいっちに、

頑張っての声に、一歩づつ足を出す。

ベットからの起き上がりも、

時間がかかっても、自分なりの工夫で起きるので、

それはとてもいいことだ、と療法士さんからほめられた。

自力歩行はできなくなったが、

起き上がること

立ち上がること

この二つの動きはもう少し頑張れそうかな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

みんなが来てくれて

10月10日

今日は午前中は息子が来て(父は寝ていた)

午後はわたしの夫と息子(孫)たちが来て、賑やかになった。

3

息子(孫)は長いこと来られなかったので、

「おじいちゃん、僕のこと覚えているかな?」と心配したくらい。

でも、

みんなの顔を見たとたんに、感激のあまり泣き顔になってしまった。

差し出された手を両手で包んで、しっかり握手した。

こんなことも珍しい!

よほど嬉しかったみたいだ。

もちろん、母も大喜びだった。

その後わたしが居ない間に、、

母は、ベランダに干してあった洗濯物を取り込んで、

きちんとたたんだ。

こんなことも、もうやらなくなっていたことだ。

Photo_2

でも。。。。。

竿に通してある洗濯物や、

ピンチに掛かっている靴下は

そのままだった。。。。。

これって、母にとっては難しいことだったのだな。

それでもいいよ。

久し振りに働いてくれて、

ありがとう!

| | コメント (2)

2009年10月14日 (水)

息子が一番

10月10日

お母さん、○彦(息子)最近ここに来た?

いいえ~来ないよ

○彦が来ないと寂しい?

来てもらいたい?

そうさやぁ~来てもらいたいよ。

わたしよりも来てもらいたい?

孫たちよりも来てもらいたい?

そりゃぁそうだよ!!

一番来てもらいたいよ~

息子は一番だもの!!!

あら、そうでしたか

まぁ、そうでしょうね

そんなもんでしょうね ┐(´-`)┌

お母さんは○彦が一番好きなんだよね?

そうだよ o(*^▽^*)o

Cocolog_oekaki_2009_10_12_23_26

母にとって弟は特別な存在。

それを嫉妬したり、憎んだりしたことがあったけれど、

こんな風に屈託なくニコニコして言える母を

すっかり受け入れているわたし。

| | コメント (0)

2009年10月12日 (月)

母の好きな歌

10月9日

圧迫骨折を繰り返して半年。

やっと骨折あとが固まった。

長い長い痛みの日々が去って、

やっと落ち着いた日々を送れるようになった。

Cocolog_oekaki_2009_10_12_21_09

こうやって手を引いて歩くと、ありがとね と言う母。

けわしい顔をして、なんでも拒否していた日もあったなぁ。

その時のわたしは怖い顔で母を叱ったっけ。

そんな日々も過ぎて、今は素直になった。

夕食時にカーサコンサートがあって

「エーモア」という若手イケメンの歌とギターを聞いた。

最後に「道化師のソネット」を歌ってくれた。

http://www.youtube.com/watch?v=s5B2tWGxBig&feature=related

おかあさん、この歌覚えてる?さだまさしの歌だよ

え~知ってるよ。

この人、いい声で、上手だねぇ~note

さだまさしはいいねlovely

さだまさしのCDを買って、いつも聞いていた母。

物事の記憶は消されてしまうのに、歌が残る不思議。

歌の記憶は脳の深い部分にあるのだろうか。

この夜は、彼のCDを子守唄かわりにして眠りについた。

| | コメント (2)

2009年10月 2日 (金)

まだ熱が。。。

父はこのところ、調子が悪い。

数日ベットで寝ていて、この日は熱もないので、久し振りに起きた。

体が右に傾いてしまう。

Cocolog_oekaki_2009_10_02_21_03

なにが「いい」んだか。。。。。

その後ベットへ。

ずっとうとうと寝ていて、食事の時間には起きてしっかり食べた。

飲み込みがわるく、トロミをつけて、

自分ではスプーンも持てなくなっていたので、介助する。

トイレでも立つのが危なくなったので、オムツになった。

微熱が出たり、引っ込んだりしている。

意識ははっきりしているが、うとうと寝ている時間が長い。

母が時々思い出したように父の顔を覗きにくる。

父が寝ているのを確かめると、ベットを離れてまた自分の世界に入っていく。

| | コメント (0)

2009年9月25日 (金)

介護ゼロの日が来る!

9月22日 

「希望!認知症を学ぶ会セミナー」 に出席。

ー認知症にかかわるすべての人でつくる情報共有の場ー

認知症患者と家族を知識と情報から支えて希望へ導くために・・・・

まずは、

河野先生の公演「認知症患者を守るために、いま私たちができること」

http://dr-kono.blogzine.jp/

名古屋で認知症の患者さんをたくさん診ておられて、

豊富な臨床経験から画期的なお話が聞けた。

癌が制圧されたように、アルツハイマーが治る時代が来るとのこと!

患者の症状に合わせた薬を、どのくらい加減しながら飲ませていくか、

タイミングが合えば、80%近くは改善するとのこと。

改善の症例をたくさん見せていただき、今までの医療って何?と思う。

医療従事者がもっと頑張って取り組めば、

介護ゼロの時代が来るということだった。

横井孝治さんの公演「知っておきたい、介護の心構えと家計負担」

 http://www.oyacare.com/

ご両親が要介護になり、独学で介護を学び、

その経験を社会と共有しようと「親ケア.com」を開設した。

知って得する介護のお金の話を聞いた。

実経験に基づく貴重なお話だった。

越智須美子さんの公演「穏やかに笑っていたい」

http://himawari1015.cocolog-nifty.com/

若年性アルツハイマーのご主人との生活は映画「明日への記憶」になる。

47歳で発症したご主人を15年間みてこられた。

「普通の主婦であり、母・妻として、自然体でやってきた」というが、

その言葉の奥のさまざまな思いに涙する人が多かった。

15年の道のりを飾らず、気負わず、時には嗚咽しながら語った。

若くしての病だったので、ご主人の無念さを語る時は辛そうだった。

先月ご主人が亡くなったばかり、ということを話の途中で知り、会場は涙・涙となった。

「お父さん、長い間ご苦労様。楽になってよかったね」とご主人を労ったという。

ご主人の描かれた絵や生き方は、たくさんの人を支えていくと思います。

ご主人は越智さんと一緒になられて幸せだったと思います。

越智さん、お疲れ様でした。

| | コメント (2)

2009年9月22日 (火)

発熱

父の巻

9月15日、38度を越す発熱があった。

往診で、抗生剤を処方してもらい服用。

熱は下がったかにみえたが、18日の朝には震えがきてまた熱が8度台に上がる。

ヘルパーさんたちが忙しそうに部屋を出入りして、父の介護をしていた。

丁度その時にわたしが帰郷したので、父の様子がよくわかった。

ベットの父は顔色が悪く、ぐったりして目を閉じていた。

ゴロゴロ喉を鳴らし、痰がからまった咳をする。

水枕をして両脇を冷やして熱を下げ、

ポカリスエットにトロミをつけて、スプーンで飲ませた。

オムツになっていたので、浴衣のほうがいいだろうということで、

実家に行ってガーゼの浴衣と腰巻を持ってくる。

昼食・夕食ともに飲み込みが悪く、トロミをつけながらヘルパーさんが食事介助してくれる。

熱があっても、食欲だけはあるので安心した。

18日の夜~19日にかけてはまだ熱が取れず、ウトウト眠ったまま。

気持ち悪さが取れないらしい。

しかし、食事はしっかり食べて、飲み込みも良くなってくる。

Dscf0049

20日の朝、顔色が良くなり、目つきもしっかりしていた。

父は自分から「起きる」という。

30~40分かけて、ゆっくり体を起こして、車椅子の移動にわたしも力を貸して

4,5日ぶりに椅子に座った。

トイレの立ち上がり、便座までの2歩の足運びが悪かったが、すぐに元に戻った。

右手のスプーンが上手く使えないが、また回復するだろう。

「お父さん、熱が高くて具合が悪くなって、もう駄目だと思わなかった?」

わたしの不謹慎な問いに

「いや、まだまだ」と言う父だった。

この不屈な精神が命の源なのかもしれない。

| | コメント (0)

2009年9月 7日 (月)

夏の終わりに

9月5日

諏訪湖新作花火大会。

若手煙火師による斬新な感覚の花火(と言われているが・・)

8月15日、夏真っ盛りの花火大会(今年は雨だったが)に比べれば

秋風の中での花火はちょっと物悲しい。

Dscf0044

父が度々発熱して、そのたびに全体の機能が落ちて、前傾して右に傾いていた。

父が椅子から落ちてしまったとき、

多分大声で「お~い!お~い!」と呼んだのだろうか?

いつも寝ている母が廊下に出てきて「困った、困った」とウロウロしているところを

ヘルパーさんが目にして部屋に駆けつけてくれた。

オデコからの出血がひどかったのと、

皮膚が弱く、テープを張ったことで表層の皮が剥がれてしまうことがあり、

大事をとって、救急車で主治医の所へ連れていってもらった。

オデコと右手の甲の傷を処置してもらった。

微熱があり、飲み込み悪く、むせやすくなっていて、食事量が少なかったが、

2日程で回復し、またいつもの状態に戻った。

Image078

父のパジャマのほころびを直す母。

縫い目の粗さはあっても、針を持って縫うことが出来ることの幸せ。

圧迫骨折の痛みがなくなり、落ち着いて、食事もきちんと食べるようになった。

嫌いだった牛乳も自分から進んで飲む。

こだわりが少しづつ消えていく。

寝ている時間は多いが、起きているときの「廊下散歩」も再開したらしい。

こうして今年の夏も何とか無事に乗り越えられた。

カーサのスタッフのみなさんに感謝です。

| | コメント (4)

2009年8月10日 (月)

要介護4

母の巻

先日の調査結果を判定した結果、要介護1から4に変更された。

要介護4とは

入浴・排泄・衣服着脱・洗顔・整髪・洗髪・つめきりなどに全面介助が必要。

食事摂取の部分介助。

尿意・便意がみられない。

理解力の低下・問題行動がある。(介助の拒否・徘徊など)

3度の圧迫骨折で、寝たきりの多い5ヶ月があっという間に過ぎ、

母の頭の中はますます雲がかかり、認知が進んだ。

要介護1の軽い状態から重度の介護が必要な状態になって、

急激な変化に改めて驚いている。

このごろでは、私が訪ねて行っても一瞬「ニコリ」とするものの、

笑顔も続かず、すぐに無表情になってしまう。

食事にも全く関心を示さず、食べる行為も忘れたように自分から箸を持つことがない。

立ち上がりや、車椅子⇔ベッドの移動、脱ぎ着・トイレに痛みがあり、

介助を受けてもうまくできない事に対して

「あぁーーーーーもう、嫌になっちゃった~~~」と繰り返し言う。

こんなことも出来ない自分への苛立ち?

こんなことを続けていることの徒労感?

今の自分の状態を認識する能力が残っているのだろうか。

同じように出来なくなっている父は「嫌になった」とは言わない。

何とかできるようにしよう、

出来なくても、出来る範囲で精一杯やろうと黙ってコツコツ始める。

元気な時から、母は何に対しても悲観的だった。

そして何かと言うと「死にたい・死んでしまいたい・生きていたくない」

こういう深層心理は根深く、認知になったからといってなくなるものではないらしい。

でも、いずれそのことも認識できなくなるときがくるのだろう。

「嫌な思いをしているのはお母さんだけじゃないよ。」

「ここにいる人たちは皆んな痛かったり、一人でできなかったり、

大変な思いをしているよ。」

というと、

「そうなの~」と、なんとなく納得したような顔をして静かになる。

変わっていく自分・壊れていく自分を抱えている母の視線の先には何があるのか。

眠ることが母の唯一の安息の時間だ。

母はわたしの力の及ばないところに行きつつあるような気がする。

| | コメント (0)

2009年7月21日 (火)

いろんな質問

母の巻

7月10日

圧迫骨折を繰り返し、3ヶ月をほとんど寝たまま過ごして介護度が上がってきたので、

介護保険の区分変更を申請して、役場から調査員に来てもらった。

母は要介護1。

眠っていた母の枕元で質問が始まる。

「お名前は?」  ○○○子です

「生年月日は?」  忘れちゃったよぅ・・・

「今の季節は、春ですか、夏ですか、冬ですか」  ・・・・・・

「ここはどこですか?おうちですか?」  家じゃないけど家です。

などなど、答えられない質問の数々・・・・

いつものことだが、アルツの人にこんな質問して何の意味があるのだろう。

答えられないことがわかっていたら、その部分は飛ばして進めばいいのに。

当たり前のことが答えられないことで、アルツの人がどれだけ傷ついているか、

そういうことがわかっていない。

わかっていても、画一的に進める。

5メートル歩けるか、5秒片足立ちができるか、

トイレの用足しが自分でできるか、体が洗えるか?爪を切ることができるか、

これらの質問はすべてできなくなっていた。

洗面、歯磨きは?服の脱ぎ着は?食事は自分で食べるか?

これは、指示すればやるのだが、最後までできない。

やっている途中で、ふっと何をやっているのかわからなくなってしまう様で、

結局、手助けを必要とする状態になった。

あれもこれも出来なくなったことが多くなったなぁ、と思う。

こちらからの話しかけには応じるが、自分からしゃべることがなくなり、

いつもぼーっと遠くを見るような目になる。

大好きな冷やしぜんざいを出した時も、

「うれしい、おいしい」と言いながら、以前のような嬉しい感情が見えない。

一口食べては、ぼーっとし、

また口に入れては、ぼーっとする。

食べることに対して全く興味を示さず、食べたくないモードになっている。

痛みが治まってくれば、また元気になるだろうか?

| | コメント (0)

2009年7月20日 (月)

連絡ノート

父と母の訪問に入ったヘルパーさんたちが書いているノート。

排尿・排便の回数や状態、食事の量を基本にして

その時々の様子を毎日5~6回の訪問時に記入してある。

Noto

ヘルパーさんは訪問に入った後「介護サービス記録伝票」を書く。

時間と介護を行った内訳をチェックして、集計するためのもの。

でもそれをわたしが見ても、両親の毎日の様子は見えない。

ヘルパーステーションに行って、主任さんや看護婦さんに聞く。

でも、たくさんのヘルパーさんが関わるので、細かいことまではわからない。

そのノートを一目見たとき感激してしまったshine

提出する伝票の他に、二重手間になるノートを書くのは大変なのに、

誠心誠意介護してくれるヘルパーさんたちの気持ちがうれしかった

何より普段の両親の様子が手に取るようによくわかって、有難い。

父がよくしゃべるようになって、気持ちが伝わるようになった、とか。

母が食事に行くのを嫌がってグズグズしている時、

父が「おくさん、起きなさい」と言ったので、母が起きた、とか。

最近はおやつを食べないで、そのままになっている、とか。

食事のすすまない母の様子や

入浴を拒む母がどんな風にしていたのか、

排便・排尿がうまくいっているか、健康状態までの記録。

わたしもそこに気が付いたことや、伝えたいことを書く。

単なる記録ノートなのだが、わたしにとってはもっと大事なノートだ。

| | コメント (0)

2009年7月15日 (水)

巨人ファン

父の巻

6月9日 

発作が起こり、母がヘルパーステーションに駆け込む。 

いつも通り、ベッドに寝かせて呼びかけしたが、

意識を失っていた時間が長かったようで、回復に手間取ったとのこと。

7月1日 

意識なくなっていたところを、訪問介護に入ったヘルパーさんが発見。

熱があり、全体的に心配だったので主治医に訪問診療していただく。

解熱剤処置してもらって落ち着いた。

その後、食欲もあり元気に過ごしている。

カーサに入居して、三度の食事と入浴以外は部屋から出ない。

新聞と本とテレビの毎日。

テレビの国会中継や、スポーツ番組は楽しみにしている(らしい)

どんなスポーツでも食い入るように観戦している。

特に好きなのは「野球」

根っからの「巨人ファン」である。

巨人が負けると、今でも機嫌が悪い。

知っている選手などいないだろうに、

父の頭の中は川上や、長嶋や、張本や、王のいる黄金時代の「巨人」なんだろう。

| | コメント (0)

2009年7月14日 (火)

テーナフィックス

母の巻

7月10日

三度目の圧迫骨折を起こしてから2週間近く、寝たきりの日々を過ごす。

リハパンを穿き、ロングパットをつけたまま寝ているので蒸れてしまい、

お尻の部分に湿疹やらあせもやらが出来て、痒いという。

仙骨部分にできた発疹が赤く、芯のあるのが気になるからと、皮膚科を受診する。

床ずれのでき始めではないし・・・・・

?????様子見ということで、ステロイド剤を塗ってください、とのことだった。

汗をかいて蒸れやすい季節sweat01

Cocolog_oekaki_2009_07_13_11_34

何とか通気性のよいものはないか?と探して、

スウェーデンで開発されたオムツカバーを教えてもらった。

Cocolog_oekaki_2009_07_13_10_58

とても小さいけれど抜群の伸縮性で、通気性がよいオムツカバー。

価格は少々高いのだが、洗濯ができて繰り返し使えるので経済的。

テーナのパットと組み合わせて使うのだが、とりあえず手持ちのパットを当ててみる。

よく伸びるので、大きなパットもキッチリ収まり、

カバーの上げ下ろしもスムーズにできる。

一晩寝てみたが、尿も便ももれなかったし、蒸れも少なくなって肌の状態もよい。

しばらくテーナフィックスを使ってもらうようにした。

| | コメント (2)

2009年7月12日 (日)

三度目の骨折

母の巻 

6月28日

4月始めに最初の圧迫骨折

5月11日頃、二度目の骨折

その後6月中旬からは、

痛みもなくなり、食欲も出てきて、廊下を歩く「散歩」が日課になった。

ヘルパーステーションに出かけてのお茶のみも楽しんでいるようだった。

数ヶ月ぶりに家に帰って、仏前でお経を上げた。

お経は空で言える部分は半分くらいになっていて、

経本を見ながら、わたしの読みを聞きながら、何とか終えた。

階段の上り下りもやっとで、怖い怖いと言いながら、ここには住めないねぇと。

もう「家」への執着は消えていて、「早く帰りたい」のは「カーサ」になっていた。

部屋の並びのYさんが体調を崩して部屋で過ごすようになると、

ドアを開けたままのYさんの部屋に入って行き、ちょっと話をして帰るのだという。

ベッドの横に置いたポータブルトイレがピンク色なので、

「きれいなものだけど、これなあに?」と聞いて、

「トイレだよ」と言われても、よく解らないらしく、フタを開けたり閉めたりして、

「座っていい?」と断って、その上に座ってYさんとお菓子を食べたという。

無口で気難しいYさんだが、

ものを言わない母のことを「無駄口をたたかない品のいい人」と、かってくれている。

夢うつつのような二人が一緒に過ごした時間が、今となっては夢のようだった。

その後、また腰痛を訴えた母は三度目の圧迫骨折でベッドの人となった。

| | コメント (0)

2009年6月17日 (水)

骨折から2ヶ月

母の巻

6月12日

二度の圧迫骨折後二ヶ月間はほとんど寝たきりだった母。

今日は、椅子に座って落ち着いた顔をしていた。

わたしが部屋に入って行くと、

「あらまぁ~、どこのオバサンかと思ったら・・・ウフフ」と、笑って迎えてくれた。

整形外科を受診して診てもらった。

第3腰椎が、先月よりも縮んで小さくなっていた。

経過見で、またひと月後に受診することになった。

まだ少し痛みはあるらしいが、普通に歩けるようになってほっとした。

鎮痛剤は胃腸障害を起こすといわれていたが、

先月末より、毎朝便失禁を繰り返している。

朝6時半にスタッフがケアする時には、必ず失禁した後になるので、

早朝にもよおしているらしい。

便で汚れたパットが気持ち悪いから、外してしまうのだろうが、

隠すつもりか?捨てるつもりか?単に置くだけか?

台所付近の椅子の上、洗濯かご、自分の枕の横などなど・・・

汚れた衣服やシーツやパットや、いっぱい洗濯したのだろう。

跡形もなくきれいになっていた。

そんなケアをしてくれたスタッフの人たちにお礼を言うと、

皆口々に「便秘よりもずっといいことだから、気にしないで」と言われる。

「それがわたしたちの仕事だから」と。

心優しく、優秀なスタッフの人たちに改めて感謝している。

母は散歩と称して廊下をブラブラするのだが、

時々、スタッフルームへ行ってヘルパーさんと「ちょこっとおしゃべり」するそうだ。

自らは何も行動を起こさない母なのに、

ヘルパーさん達といい関係が作れているのだ知ってうれしかった。

| | コメント (2)

2009年5月26日 (火)

眠りモードに

5月24日

母の巻

圧迫骨折から10日以上経ち、痛みも引いているだろうか?

と期待しつつ1週間ぶりで行ってみると・・・・・

今朝は起きてこなくて、ベッドで寝たまま食事介助してもらったとのこと。

わたしが声をかけても、うっすら目を開けるが起きない。

食事時間に起こして、トイレ介助し、数口食べるだけだ。

昼食後、覚醒していたのでお風呂に連れて行った。

「気持ち悪くて、吐きそう!」と言い出したので、サッと洗って部屋に戻る。

孫のクマ子が来ていて、

ドライヤーで髪を乾かしてもらい、笑顔も出たが、

すぐに眉間にシワを寄せて、「痛い、気持ち悪い」と言い出しベッドへ。

昼も夜もずっと寝ている。

なす術がない。

単に圧迫骨折の痛みだけではないような感じがする。

痛みをきっかけに母の頭の中で何か変化が起こったような気がする。

痛みやら今の状態を受け入れられずに、現実拒否と閉じこもり。

過睡眠が始まったか?

以前もこんな風に1ヶ月寝たきりだったなぁ・・・・

介護拒否・食事拒否・排泄介助拒否・何でも拒否

強く拒否されると、私自身が拒否されるような気がするので、

どうしても無理強いさせてしまう。

頭ごなしにガミガミ言う。

母を受け入れることが出来ない。

怒る声が大きくなるにつれ、

母はしっかり目を閉じて、心も閉じてしまう。

Dscf0024_2

激しく雨が降っている。色とりどりの花でいっぱいの畑を3階の廊下から眺める。

ホールで顔見知りの方とおしゃべりして、愚痴を聞いてもらう。

「イライラして怒っちゃった~」と言うと、

「貴女の気持ちはわかるけど、怒らないでやって。

わたしだって、子どもに怒られたら悲しいよ。

貴女のお母さんの気持ちの方に近いかもしれないからね。

みんな年取ったら往く道だから仕方ないことなのよ。」と静かに言われた。

ふんふん、そうかぁ~、そうだよね、

素直に聞けた、納得できた。

・・・・・・このところ目一杯で余裕がなかったかもしれない。

まぁ、余裕があってもなくても、疲れていてもいなくても、

やさしくしたり怒ったり修羅場を繰り返しながら、

少しずつ現実の母を受け入れていくんだろうな。

| | コメント (2)

2009年5月25日 (月)

5月23日

父の巻

Dscf0022

血管がもろく、その上血液が固まらない薬を飲んでいるので内出血を繰りかえす父の手。

食欲は落ちたものの、一週間を無事に過ごしたようだ。

起き上がりに時間はかかるが痛みもなく、自力でできるようになった。

目下の心配ごとは、「あれ。。。」と母を指差す。

母が一日中寝ているので、ベッドに目をやっては様子を見、

食事の時間になると「おいおい!」と声をかけて起こす。

やっと起きて来て、車椅子に乗った母の手をとって、顔をじっと見る。

食事に行くと、食欲のない母に「もっと食べなさい」と促しているそうだ。

まわりのお年寄りもそういう変化をよく見ていて、

「以前は、お母さんがお父さんの箸の上げ下ろしまで見てお世話していたけど

最近はお父さんが気遣っておられるわね~」とのこと。

入所当時元気の良かった頃は、夫婦で一緒にいられることを皆に羨まれていたが、

認知の進んだ母の様子を見て、いろいろ思うところもあったらしく、

「主人が亡くなった時は悲しかったけど、

自分が元気のうちに見送りができてよかった」という方もおられる。

羨望の対象だった夫婦も

いまでは見るものに優越感を抱かせ、哀れみの存在なのかもしれない。

それはきれい事ではない正直な気持ちだろうと思う。

Dscf0023_2

孫のクマ子に促されて手をつないだ二人。いつの日かこの手を離す時が来るのだろう。

『睡眠は別れ別れで やがてふたりは手をはなしたり』 高瀬 一誌

| | コメント (0)

2009年5月20日 (水)

お抱え床屋

5月17日

去年までは、月に1度父を床屋に連れて行った。

ほとんど髪の毛がなく、言ってみれば「○ゲ」であるが、

残った数本の毛を、数種類の整髪料などつけて、大事になでつけて、

少し伸びると床屋に行って散髪してもらっていた。

父の歩行があやしくなったこともあり、

これくらいの散髪ならわたしにも出来るかも?と始めた素人床屋だが、

電気シェーバーで、グルリと刈り上げて、

眉も整え、耳毛も鼻毛も切って、熱いタオルでふきあげて、終了。

とっても簡単!

Dscf0016

まるでタコ入道だわ!

Cocolog_oekaki_2009_05_19_17_51

腰痛で顔をしかめている母の髪が伸びて、まるで「鬼○バ」

「楢山節考」のおりん婆だってここまでは!と見まがうほどの形相になっていて、

少しはきれいにしてやろうと、母のカットをする。

母も行きつけの美容院があり、去年までは連れていった。

そこの先生が髪を染めるのは女性として当然のこと、という意見であり、

白髪移行中の母の髪を真っ黒に染めてしまったので、

私とちょっとした意見の対立があった。

まあ、どうでもいいことなのだが・・・・

頻繁に美容院に行かれないので、そうなると染めまだらな髪は悲惨なことになるのだ。

年取って、認知もあって、険しい表情になってくる時に、

それを和らげる髪の色は、やはり自然な状態が一番いいと思う。

で、それ以降、私が母のカットをしている。

Dscf0018

こんな仕上がりでどうでしょう?と母に聞くと「いいよ~」とニコニコする。

でも、母の本心は「こんなに短くしないで、パーマもかけて髪も黒く染めたい」

ってことなんだけど・・・・

| | コメント (4)

«根性発揮してます!