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2009年3月の14件の記事

2009年3月31日 (火)

認定の見直し

3月27日

父が歩けなくなり、それとともに全体的なレベルも落ちたので、

拘縮がひどくならないうちに、リハビリを始めたほうがよいと、主治医に言われた。

それには、「要介護1」の認定を見直して、

もっと多くの介護を使える区分に変更してもらう必要がある。

早速、町から調査員に来てもらって、本人(父)への面談。

氏名  生年月日 住まいの住所・・・・などは答えられなくなっているので、

全体的な印象だけを見て、後は別室で、ケアマネさんとわたしへの質問になる。

認知があっても、手も足も動かせるうちは「要介護1」にしかならないが、

歩けなくなり、箸も持てなくなると、

認知があるだけに、広範囲にわたって出来ないことが多くなる。

(出来る部分を生かすとか、工夫するとか、そういう脳がうまく働かない)

ほとんど全介助の項目に○がつく。

調査員は、父の介護認定を最初から見ている方だったので、

父の急変にはとても驚いていた。

一月ほどで認定が下りてくるだろうか。

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2009年3月30日 (月)

歩けないはずなのに・・・

3月23日

歩けなくなった父は、夜はオムツにロングパットをして休んだ。

4~5日便通がなかったので下剤を2回飲んだ。

その下剤が効いて、お腹が痛かったからか、便意をもようしたためか、

トイレまで行って、用をたしたらしい!!!

歩けないから、這って行ったのだろうか???

オムツを下ろして、用をたして、またオムツを上げて、・・・自分でしたんだろう。

そして、這ってベッドに戻った。

でも、ベッドに上がれなくて、膝を床につけたまま、

ベッドに上半身うつぶせの状態で寝ていた。

なんか、すごい!

パットの中にしてしまうことが当たり前のような日々だったのに。

この変化は何?

父に聞いても、ニコニコしているだけで、はっきりしたことはわからないそうだ。

でも、ベッドから落ちたら、即事故になるので、

低床ベッド(高さが20センチくらいになる)に替えてもらうことになった。

・・・・と、この出来事はケアマネさんの電話で知る。

27日に介護認定の区分変更のため調査員が来訪するとのこと。

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2009年3月25日 (水)

30年ぶりに

母の姉が、長姉の法事に出席するために諏訪に来た。

90歳になる姉と、その連れ合いの旦那さんとの再会は、なんと30数年ぶり。

横浜で保健婦として定年まで働いていたので、足腰はとても丈夫で、

今は、せっせと手を動かして、手芸をして楽しんでいる。

若くして故郷の諏訪を出て、都会で働いていたので、

とってもおしゃれで、モダンな女性だった。

母を含め他の姉妹4人は皆、諏訪を出なかったので、

明るくさばけた伯母には都会の香りがして、素敵だった。

Kk

姉は涙でいっぱい。妹である母は笑顔いっぱい。

姉はずっと妹を気遣い、「元気で暮らしてね。」と言って帰路に着いた。

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2009年3月24日 (火)

はっきりしてきた

19日、日赤で検査。

20日、昨日の疲れもあり、また、介助浴の疲れもあって一日中ウトウトしている。

車椅子に座っても、体が右に傾いてしまう。

痰がからんで、喉はゴロゴロ。

飲み込みも悪い。

夜は大きなオムツに、大きなパット。

昼間は、リハビリパンツに大きなパット。

ヘルパーさんが父を車椅子で便器の前まで連れて行き、

必死な思いで立たせて、そのパンツを上げ下げする。

今までのような、ちょっとの介助では済まない。

父も脳の萎縮が著しいことがわかり、

母に飲ませている「フェルガード」を早速飲ませることにする。

19日から「NEWフェルガード」を一日3回飲ませる。

http://www.glovia.net/

21日の朝、父は目を覚まして、何か言おうとする。

腕時計をさして、「●×○△・・・・・・・」→ 「もうこんな時間になったのか?」

母と私をさして「行ったかい?」→ 「朝風呂に行って来たか?」

しゃべることはほとんどなかったので、ビックリする。

顔つきも昨日とは全く別人のようなはっきりした顔つきになっている。

ベッドから体を起こすときには痛がるが、立ち上がりが楽になり、

トイレでも、バーにつかまって立っていられるようになる。

車椅子に座って体が傾かない。

右手の箸使いはうまくいかないようだが、飲み込みはスムーズになった。

テレビのニュース、春の選抜高校野球を熱心に見る。

新聞を読み、掲載された短歌の好きな一句を手帳に書き写す。など等・・・・

これらの回復はフェルガードのお陰なのか?

それとも、単に一過性のものなのか?

でも、フェルガードはきっちり飲ませたいと思い、

一日二回、朝と午後の時間に二種類のフェルガードを飲ませてもらえるように、

大変に面倒なことをヘルパーさんにお願いした。

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日赤で検査

3月18日

M先生が診察に見えて、父の急な変化の原因を調べるために、

翌日の19日に、日赤へ行くようにと紹介状を書いてくださり、

わたしは急遽19日の朝一番の電車で諏訪へ行く。

15日に別れた時よりも、ずっと悪くなったような気がする。

食事以外の時は、ほとんどベットで横になっていたらしい。

腕や足の関節の拘縮がはじまったのか、動かすと痛がる。

顔つきも虚ろでぼんやりしている。

CT撮影、血液、レントゲン、エコーの検査をする。

検査室まで行ったり来たり、服を脱いだり着たり、車椅子から降りたり乗ったり・・・・

そして、待つことーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3時間

やっと、脳神経内科の先生の診察。

大きな脳梗塞もなく、原因はわからないという。

でも、脳がかなり萎縮していて、

前頭葉と側頭葉の萎縮が激しいので、先生も驚いている。

これだけ萎縮いていると、通常は意識がなく、寝たまま、

もちろん、嚥下(飲み込み)もできなくなっている状態だそうだ。

今は辛うじて座って、食べて、意識もあるが、

いずれ寝たままになるでしょう、とのこと。

点滴で、血流をよくする薬を使ってもいいが、

その場合は血管が破れやすくなっているので、出血のリスクが高い。

多少の効果はあっても、この状態を回復させることはできない、という先生の話。

カーサに帰り、両親に遅い昼食を食べさせて、お昼寝をさせてから、

日赤の検査結果と所見を持って、主治医のM先生に報告に行く。

脳の萎縮が激しくても、父の場合は静かで落ち着いているので、

この状態が続くでしょうとのこと。

先生にはリビングウィル(延命処置をしないこと)を伝えてあるので、

最終的に食べたり飲んだり出来なくなったときには、

胃ろう(胃に穴をあけて、そこから栄養を入れる)はせず、

水分、栄養補給の点滴をするのみの処置で、見守りましょう、と言ってくださる。

M先生は、全国在宅療養支援診療所連絡会の世話人をされていて、

自宅(または施設)で最期をみとる支援をされている。

月に二回の訪問診療だが、

いつでも先生に連絡でき、必要ならすぐ来てくださることはとても心強い。

親の最期の時がいつなのかはわからないが、

場所はここ、カーサで、

M先生や看護婦さんや、ヘルパーさんたちと一緒に

みとりができたらいいと思っている。

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2009年3月16日 (月)

車椅子

最近、父の歩行がかなり危うくなっていた。

部屋の中、トイレに行く時の3~4メートルの距離と、

出入り口までの4~5メートルの距離を自力でやっと歩く。

部屋を出て、食堂に行く時・風呂場に行く時は歩行器を使うが、

辛うじて動いているといった感じだった。

早晩、歩けなくなる日がくるだろうと思ってはいたが・・・・

毎週末、わたしがいる時は自室に食事を運んで食べていたので、

歩く機会が減って、父の弱っている足を余計に弱らせたのだろうか?

母に食べさせたいとの思いが、父にとってはよくないことだったのか?

今朝起きて、一応自分で着替えとトイレを済ませたものの、

それ以後は椅子から立ち上がれなくなってしまった。

両足が痛いと言う。

自力では立てない。だから、歩くことができない。

ついに、車椅子の出番となった。

しかし、ブレーキや車の操作を父に理解させることは難しいし、

傍に母がいても、こちらも操作はできないので、

介助者がいるときだけ使うということにした。

行きたいときにトイレに行かれないことは、辛いだろうと思う。

でも、「こうなってしまったことは仕方ない」と、

父は案外淡々とこの状態を受け入れていくのかもしれない。

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2009年3月15日 (日)

何故食べたり、食べなかったりなの?

母が食堂で食べる時は、

辛うじてご飯は食べても、他のおかずはほとんど食べない、

若しくは、少しだけ食べるそうだ。

ヘルパーさんも、まわりの入居者の方々も、皆心配してくださる。

体重も40キロを割った。

何とか食べさせようと、自室に運んでみた。

なんと!!!!!!

食べる、食べる、食べる、食べる、食べる、食べる

完食した。

「美味しいよ~」とか「よく食べられたね~」とかの声かけくらいしかしないのだが・・・

何故ここでは食べるのに、食堂では食べないのだろう?

食堂の雰囲気、たくさんの人などに圧倒されるのだろうか?

いつも一緒のテーブルの人たちにも馴染めずにいる。

記憶ができないので、その人たちを覚えていられないのだろうが。

部屋では、何でも食べつくして調味料まで手を出すのだから

食べ物が目の前にあったら食べるだろうに????

でも、よく食べていた父が残す。

????????????

「これは、いいで~」といって、最初から取り分けるような箸使いをする。

ふふ~ん!わかった!

お膳のないわたしに食べさせようとしているのでは?????

わたしも一緒の食事を運んでみた。

やっぱり!

父は安心したように、自分のお膳をたいらげた!

Dscf0003

早咲き桜が一輪のテーブルでの夕食

カニ玉・肉じゃが・なすのしぎ焼き・お吸い物・漬物

3人で、ゆっくり美味しい食事をいただきました。

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2009年3月10日 (火)

一寸ぼうし

母は人とのコミュニケーションを嫌がり、ミニデイも一日で拒否したし、

以前は楽しんでやっていた手仕事にもそっぽを向くようになり、

「・・・しましょう」の誘いかけはことごとく「嫌!!」

日がな一日ボーっとしている。

認知がかなり進んできたので、

何らかの働きかけが必要だと、いろいろ調べた。

音読や簡単な計算を用いた学習が、脳を活性化させるという話。

年寄りと支援者が会話をしながら行うことで、

年寄りの認知機能やコミュニケーション機能、身辺自立機能など

前頭前野機能の維持・改善を図る。

その紹介や説明をネットで調べて、試しに購入したドリルがこちら。

Dscf1234

認知の軽い人ようのドリルA/読み書き

Dscf1237

そして計算のドリル。

これなら、さっとできるだろうと考えていたわたしの認識が甘かった!

初めに、もう名前が書けなくなっていた。

プラス6以上の計算は「えーっと、何?」とつまづいた。

母も自分が出来ないことにショックを受けているので、計算は先の課題にする。

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2009年3月 9日 (月)

ケアプランの見直し

母の介護認定が更新され、引き続き「要介護1」に。

それに伴っての、ケアプランの見直しと話し合いがあった。

サービス提供の側から、最近の母の状況を聞く。

● 入浴拒否が強い。

● 清潔を保つためのパットの交換時。

● 家事などの誘いや促しに対して。

● ヘルパーの訪問時。

いずれの時にも激しく抵抗し、暴言を吐くとのことで、

何故そんなことを言うのだろう、とショックだった。

母の本質は、勝気でキツイ性格だからそれが噴出したのだろうか?

ヘルパーさんたちが大変な思いをして介助して下さっていることに頭が下がる。

今までの状態とは明らかに変化しているので、

早急な対応を考えましょうとのこと。

わたしの注意や指示、

「そんなことをしては駄目だよ」とか「そんなことが出来ないの?」など、

今までだったら、母も笑って聞き流していたような些細な言葉に対して

顔色を変えて反応するようになった。

わたしに対しては暴言は吐かないまでも、

サーッと心のカーテンを閉めてそっぽを向く。

心を閉ざしてしまうことが多くなった。

訪問診療される先生からも、

「キツイ言葉は患者の心を閉ざすので注意してください」との指摘もいただいた。

担当者会議で挙げた大きな目標。

入浴は週1~2回とし(週末はわたしと入るので)

抵抗のあるときは無理強いしない。

教材などを使って、楽しくコミュニケーションをとって、笑顔の出る生活を支援する。

過食傾向にあるので、薬・菓子類はヘルパーステイションで管理する、等など。

ケアマネさん、ヘルパーさん、大勢の方の力をお借りして、

母の生活が成り立っていることに改めて感謝です。

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2009年3月 5日 (木)

お菓子

母は料理が好きで、いろんなものを作っていた。

でも、胃が弱かったのでいつも少ししか食べなかった。

カーサに入居しても、3度の食事がやっとで、おかずは食べなかった。

周りのものは苦心して、一生懸命食べてもらおうとしたが、

なかなか食べなかった。

母の体は軽くなった。細くなった。

部屋に置いたお菓子も果物も、手付かずの日が続いた。

それがいつの間にか、用意した菓子や果物を食べつくすようになった。

菓子の包装紙がアチコチに散らばり、

ふたは開け放しになっていた。

それらが入っていた容器は洗わず、そのままで、

汚れが見えなければ、汚れていないとするのが母の理屈になった。

捨てて、閉めて、洗って、と言っても

「はい」とは答えても、そうすることを忘れてしまう。

そうして、わたしに注意されたときには、少し嫌な顔をする。

「はいはい、わかっているよ。でもそんなことを言わないで」

と母は言いたいのだと思う。

「食べないでください」と書いた包みを開けて食べてしまった。

その中には、梅干や佃煮などが入っていた。

「お母さん、食べたの?」と咄嗟にきつい声で聞く。

「わたしがそんなことするわけないじゃ~しらないよ~」

あーまただ。いつも知らないって言う。

腹をたてながら、やっぱりここに置いた自分を責める。

母の認知が進んだことに愕然とする。

「来たよ~」と部屋に入って行くと、

母が台所に立って、入れ物を抱えている。

「お母さん!塩なんか舐めているの!」とまたきつい声を出してしまう。

塩じゃない、砂糖だという。

何も食べるものがなくて、砂糖を舐めていたのだ。

認知症は異食に移っていくこともあるという。

ちょこっと食べる楽しみを満たしてやるような工夫をしよう。

軽い煎餅や煮干、豆菓子を見えるところに置いて、

チョコレートや甘い菓子はヘルパーさんから出してもらうことにした。

こうして少し様子を見る。

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2009年3月 4日 (水)

母のこと

昨年の夏頃まで、母はめまいや気分の悪さを訴え、寝ている時間が長くなった。

入浴拒否も強くなっていて、ヘルパーさんを困らせていた。

3食の食事もほとんど手をつけず、補助食品で補っていたがそれにも飽きてきた。

体重も38~39キロになり痩せた。

寝ている間に失禁することもあったし、便の後にうまく拭けないので下着を汚した。

それを自分で洗っていたこともあったし、汚れの酷いものは捨てていたようだ。

以前パットをトイレに流して詰まらせたことがあったので、

粘着の強いパットで、すぐに取れないタイプにした。

                      

7月からフェルガードを飲み始める。

フェルガードは米ぬかから抽出された健康補助食品。

認知症の中核症状(記憶障害、判断力低下)や周辺症状(無気力、うつ)の改善に効果があるという。

特にアルツハイマー型認知症にはかなりの改善が確認できているという。

母の場合は問題行動のない気力の低下した認知症で、アリセプトを飲んでいないので、フェルガードを飲ませても問題ないと判断して、服用を開始した。

効果の現れるのは2ヶ月くらいで、ということで、気長に飲ませることにした。

                      

その後8ヶ月経って、母のうつ症状はなくなったようだ。

めまいや気持ちの悪さの訴えはなくなった。

気持ちがふさいで暗い顔をしていることもなくなった。

                       

台所に置いた菓子、冷蔵庫の中の果物を食べつくす。

食事時に食べないことが続くので、

菓子も果物も無くしてみたが、食事量は変わらない。

遂には、冷蔵庫の中の「食べないでください」と書いた袋を開けて、食べてしまった。

(梅干・漬物・蜂の子・佃煮などのご飯の副菜。塩分濃度の高いもの)

                       

わたしがカーサに行った時は、部屋で一緒に食事をするようにしてみた。

「美味しいよ~、食べてみて~」と言うと、母は食べる。

「よく食べられたね!すごいね!」と誉めると、全部食べる。

3食全部食べても、おやつはキチンと食べるし、盗み食いもする。

だれも見ていないときにこそっと食べるのが楽しいのか、やめられないようだ。

然るに、食欲中枢が壊れてしまったかと思う。

異食に進まないように、気をつける必要がありそうだ。

体重は42キロになった。

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手紙

昨日、何気なく見ていたテレビで流れてきた歌に聞き入ってしまった。

「誰も知らない泣ける歌」という日本テレビの番組。

「手紙~親愛なる子供たちへ~」 歌 樋口 了一 作詞未詳

年老いた私が、ある日今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解してほしい

・・・・・という歌詞で始まる長い歌。

認知症になって、食べ物をこぼしたり、同じ話を繰り返したり、下着をぬらしてしまったり、

お風呂に入るのを嫌がったり、いずれ飲み込めなくなり、足もなえてしまっても、

決して悲しまないでほしい。

あなたが生まれて、よろめく足で私につかまったり、

嫌がるあなたを追い回してお風呂に入れたり、

絵本を何度も読んだり、いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

いろんなエピソードとその時の思いが綴られていく

・・・・・・・

悲しいことではないんだ。

消え去っていくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けてほしい。

・・・・・・・・

私の姿を見て悲しんだり、自分が無力だと思わないでほしい。

・・・・・・・・・

あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように、

私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい。

あなたが生まれてくれたことで、私が受けた多くの喜び

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えるため

私の子供たちへ

愛する子供たちへ。

両親のこころの声を聞いたようです。

毎週末に帰郷して両親の介助・介護をしているわたしにとっての静かな応援歌となりました。

両親の最期の幕を引く手伝い、それは旅立ちの準備と思っていました。

別れの日がいつやってきてもいいように。

また頑張って親をみていこう!という気持ちになりました。

YouTubeで聞けます。

http://www.youtube.com/watch?v=VIys43kR5S0&feature=PlayList&p=664CF43D8C90825A&index=9

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父のこと

昨年6月からの父の下痢。

通年、初夏にはお腹の具合が悪くなり、下痢をするようにはなっていた。

トイレでズボンと下着を下げるのに時間がかかり、排便・排尿が間に合わない。

                     

リハビリパンツ(紙おむつ)を穿くことになる。

ズボンのウエストが総ゴムで、ゆったりしたのものに替える。

(こういうズボンは、なかなか売っていなくて、結局ジャージー。冬用には、暖かい素材の婦人物を購入)

頻繁に下痢便が出るので、起床時・午前中・午後・就寝時と介護に入ってもらう。

わたしも帰郷したときには、カーサに泊まって、深夜のトイレ介助をすることになった。

ウールのズボンに革のベルトをして、一応きちんと身支度を整えていた父だった。

紙おむつをはくことに、きっと躊躇があったと思う。

ヘルパーさんに自分のお尻を洗ってもらったり、拭いてもらったりしなくてはならなくなった父の気持ちはどんなだっただろう。

親の「下」の始末をしなくちゃならない日がくることを予想はしていたが、

便まみれになっている父を目にした時から、わたしも否応なく下の世話をやることになった。

実家にいたとき、父の体に湿疹ができて、それを見てもらおうと母がわたしを呼んだが、決して娘には見せようとしない父だった。

だから、尚更、父の心の声が聞こえるようだ

                     

便と尿の失禁とともに、腰が曲がってすり足になり、歩くのも困難になった。

歩行器を使い、入り口とトイレに手すりを設置した。

                     

通院も困難になった。

訪問診療してくださる先生をケアマネさんに紹介していただき、月2回の診察が始まる。

                     

今年になって、貧血や発作が頻繁に起きるようになる。

脳虚血発作ではないかとの診断。

発作の後は、排便排尿・運動機能も落ちるが、しばらくすると、少し快復する。

起床時・就寝時の着替えは一人でやっている。

足の筋肉がなくなったので、靴下とズボンの脱ぎ着には難儀している。

前に置いた靴下(大きめユルユルのもの)に足先をひっかけて、その足を膝頭に乗せる。

足で行う「靴下釣り」みたいな格好、これに時間がかかる。

いつまで経っても終わらない根気のいることなのだが、

癇癪も起こさず、大声も出さず、黙々と続ける。

その後、洗面所に行き、髭を剃る。父の朝が始まる。

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2009年3月 2日 (月)

繭玉ひな

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繭を使ったひな人形です。

製糸業が盛んだった諏訪。

岡谷の蚕糸博物館で、人形つくりを教えている従姉が材料を持って来ました。

夫々に染められた繭に切込みを入れて、

胴体や顔にしたり、半分に切って袖にしたり、余すところなく使います。

中から出てきたさなぎを見て従姉が、

「おばさん、昔はサナギを食べたの?」

「うん、食べたよ」と、母。

「臭かったでしょう?」と聞くと、

「臭かったけど、食べるものがなかったからね~」とのこと。

それから、昔の食糧難の話になり、

雀を焼いて食べたというhappy02

結婚式の折り詰めに「雀の踊り焼き」が入っているものは、

みんな有難がったものだった、という話を聞きました。

甘辛いタレをつけてあり、食べるところなどあまりないが、

骨が細いので、カリカリ食べたということでした。

わたしが覚えている折り詰めには、確かに「踊り焼き」がありましたが、

いつの間にか「鮒」を開いてそれ風にしたものに代わっていました。

「鮒」に代わったのに、名称は「雀の踊り焼き」だったような・・・・・

だから、長い年月食べられなくて(そんな大げさなことではありませんが(*゚ー゚*)

でもある日食べてみたら「雀」ではなくて、美味しかったhappy01

もう、結婚式に折り詰めが出ることなどなく、

こんな話題は昔話になってしまいました。

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