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2009年7月の6件の記事

2009年7月21日 (火)

いろんな質問

母の巻

7月10日

圧迫骨折を繰り返し、3ヶ月をほとんど寝たまま過ごして介護度が上がってきたので、

介護保険の区分変更を申請して、役場から調査員に来てもらった。

母は要介護1。

眠っていた母の枕元で質問が始まる。

「お名前は?」  ○○○子です

「生年月日は?」  忘れちゃったよぅ・・・

「今の季節は、春ですか、夏ですか、冬ですか」  ・・・・・・

「ここはどこですか?おうちですか?」  家じゃないけど家です。

などなど、答えられない質問の数々・・・・

いつものことだが、アルツの人にこんな質問して何の意味があるのだろう。

答えられないことがわかっていたら、その部分は飛ばして進めばいいのに。

当たり前のことが答えられないことで、アルツの人がどれだけ傷ついているか、

そういうことがわかっていない。

わかっていても、画一的に進める。

5メートル歩けるか、5秒片足立ちができるか、

トイレの用足しが自分でできるか、体が洗えるか?爪を切ることができるか、

これらの質問はすべてできなくなっていた。

洗面、歯磨きは?服の脱ぎ着は?食事は自分で食べるか?

これは、指示すればやるのだが、最後までできない。

やっている途中で、ふっと何をやっているのかわからなくなってしまう様で、

結局、手助けを必要とする状態になった。

あれもこれも出来なくなったことが多くなったなぁ、と思う。

こちらからの話しかけには応じるが、自分からしゃべることがなくなり、

いつもぼーっと遠くを見るような目になる。

大好きな冷やしぜんざいを出した時も、

「うれしい、おいしい」と言いながら、以前のような嬉しい感情が見えない。

一口食べては、ぼーっとし、

また口に入れては、ぼーっとする。

食べることに対して全く興味を示さず、食べたくないモードになっている。

痛みが治まってくれば、また元気になるだろうか?

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2009年7月20日 (月)

連絡ノート

父と母の訪問に入ったヘルパーさんたちが書いているノート。

排尿・排便の回数や状態、食事の量を基本にして

その時々の様子を毎日5~6回の訪問時に記入してある。

Noto

ヘルパーさんは訪問に入った後「介護サービス記録伝票」を書く。

時間と介護を行った内訳をチェックして、集計するためのもの。

でもそれをわたしが見ても、両親の毎日の様子は見えない。

ヘルパーステーションに行って、主任さんや看護婦さんに聞く。

でも、たくさんのヘルパーさんが関わるので、細かいことまではわからない。

そのノートを一目見たとき感激してしまったshine

提出する伝票の他に、二重手間になるノートを書くのは大変なのに、

誠心誠意介護してくれるヘルパーさんたちの気持ちがうれしかった

何より普段の両親の様子が手に取るようによくわかって、有難い。

父がよくしゃべるようになって、気持ちが伝わるようになった、とか。

母が食事に行くのを嫌がってグズグズしている時、

父が「おくさん、起きなさい」と言ったので、母が起きた、とか。

最近はおやつを食べないで、そのままになっている、とか。

食事のすすまない母の様子や

入浴を拒む母がどんな風にしていたのか、

排便・排尿がうまくいっているか、健康状態までの記録。

わたしもそこに気が付いたことや、伝えたいことを書く。

単なる記録ノートなのだが、わたしにとってはもっと大事なノートだ。

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2009年7月19日 (日)

多峯主山~天覧山

ハイキングに行こう!と思い立って 飯能駅から、入間川の吾妻峡へ。

木々の緑、鳥のさえずり、蝉の声・・・いいよね~

飛び石のドレミファ橋を渡って、多峯主山へ向かう。

Dscf0175

ここまでは楽勝だったので、延々と続く坂道が結構キツイ!

Dscf0184_2

「楽勝で歩ける」、なんて言っていたが、頂上間近の急勾配に「エッーーー」

根を上げそうな頃に、やっと頂上!富士山まで見えるそうだ。

Dscf0186

急勾配を下りて、また少し登って、天覧山へ。

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2009年7月15日 (水)

巨人ファン

父の巻

6月9日 

発作が起こり、母がヘルパーステーションに駆け込む。 

いつも通り、ベッドに寝かせて呼びかけしたが、

意識を失っていた時間が長かったようで、回復に手間取ったとのこと。

7月1日 

意識なくなっていたところを、訪問介護に入ったヘルパーさんが発見。

熱があり、全体的に心配だったので主治医に訪問診療していただく。

解熱剤処置してもらって落ち着いた。

その後、食欲もあり元気に過ごしている。

カーサに入居して、三度の食事と入浴以外は部屋から出ない。

新聞と本とテレビの毎日。

テレビの国会中継や、スポーツ番組は楽しみにしている(らしい)

どんなスポーツでも食い入るように観戦している。

特に好きなのは「野球」

根っからの「巨人ファン」である。

巨人が負けると、今でも機嫌が悪い。

知っている選手などいないだろうに、

父の頭の中は川上や、長嶋や、張本や、王のいる黄金時代の「巨人」なんだろう。

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2009年7月14日 (火)

テーナフィックス

母の巻

7月10日

三度目の圧迫骨折を起こしてから2週間近く、寝たきりの日々を過ごす。

リハパンを穿き、ロングパットをつけたまま寝ているので蒸れてしまい、

お尻の部分に湿疹やらあせもやらが出来て、痒いという。

仙骨部分にできた発疹が赤く、芯のあるのが気になるからと、皮膚科を受診する。

床ずれのでき始めではないし・・・・・

?????様子見ということで、ステロイド剤を塗ってください、とのことだった。

汗をかいて蒸れやすい季節sweat01

Cocolog_oekaki_2009_07_13_11_34

何とか通気性のよいものはないか?と探して、

スウェーデンで開発されたオムツカバーを教えてもらった。

Cocolog_oekaki_2009_07_13_10_58

とても小さいけれど抜群の伸縮性で、通気性がよいオムツカバー。

価格は少々高いのだが、洗濯ができて繰り返し使えるので経済的。

テーナのパットと組み合わせて使うのだが、とりあえず手持ちのパットを当ててみる。

よく伸びるので、大きなパットもキッチリ収まり、

カバーの上げ下ろしもスムーズにできる。

一晩寝てみたが、尿も便ももれなかったし、蒸れも少なくなって肌の状態もよい。

しばらくテーナフィックスを使ってもらうようにした。

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2009年7月12日 (日)

三度目の骨折

母の巻 

6月28日

4月始めに最初の圧迫骨折

5月11日頃、二度目の骨折

その後6月中旬からは、

痛みもなくなり、食欲も出てきて、廊下を歩く「散歩」が日課になった。

ヘルパーステーションに出かけてのお茶のみも楽しんでいるようだった。

数ヶ月ぶりに家に帰って、仏前でお経を上げた。

お経は空で言える部分は半分くらいになっていて、

経本を見ながら、わたしの読みを聞きながら、何とか終えた。

階段の上り下りもやっとで、怖い怖いと言いながら、ここには住めないねぇと。

もう「家」への執着は消えていて、「早く帰りたい」のは「カーサ」になっていた。

部屋の並びのYさんが体調を崩して部屋で過ごすようになると、

ドアを開けたままのYさんの部屋に入って行き、ちょっと話をして帰るのだという。

ベッドの横に置いたポータブルトイレがピンク色なので、

「きれいなものだけど、これなあに?」と聞いて、

「トイレだよ」と言われても、よく解らないらしく、フタを開けたり閉めたりして、

「座っていい?」と断って、その上に座ってYさんとお菓子を食べたという。

無口で気難しいYさんだが、

ものを言わない母のことを「無駄口をたたかない品のいい人」と、かってくれている。

夢うつつのような二人が一緒に過ごした時間が、今となっては夢のようだった。

その後、また腰痛を訴えた母は三度目の圧迫骨折でベッドの人となった。

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